昭和五十六年七月六日 朝の御理解
御理解第二十九節
桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花は早う散る。梅の花は苦労しておるから長う散らぬ。
桜の花の信心はおかげ信心。おかげを受けるという信心。そのおかげを受けるということがいけないことではない。やっぱりおかげを受けなければなりません。梅の花の信心というのは、やはり辛抱できんような所も辛抱しぬいて、辛抱力を頂き、力を頂き、神様からも認められ、いうならば神様の御信用がついてお徳を受けていくという信心という風に説かれます。ね。
桜の花の信心よりというのですけれども、桜の花の信心から梅の花の信心にこう変わっていくという事だと思うね。初めからなら、梅の花の信心をという、それじゃなかなかそうたくさんはおりませんけれども、ここに真の信心が分かりたいと初めからそういう信心を目指す人もやっぱありますね。
私は昨日、丁度四時半、御祈念を終わってここへ座らせて頂きましたら、昨日はくノ一会の方達が、丁度夏期信行と一緒になります時間が、いつも福岡で正月からあってるんだそうです。それを合楽でほとんどの方がこのか寄進行に来ておりますから、こちらでさせて頂きたいということで、昨日は共励殿でまあ、例会が開かれたようでございました。私はあのう、次々とお取次があっておりましたから立って行きもしませんでしたが、四時の御祈念を終わって四時半にここに座らせて頂いたら、くノ一会の方達も終わってここへお届けに来ておる所でした。皆。
そして私は感じたんですけれども、素晴らしいなぁ。何かを感じる、これは動いうことだろうかと思ったんですけれども、今朝皆さんが祈念詞を奉上されていく中に、厳しくも開かれたというところがありますね。私は厳しくということは、いかめしいというような、堂々というような、 然としてというか、何かそういう内容を持った事だろうと思うんですけれども、昨日のね、私があのうくノ一会の方達に感じたのはこの厳しくも開かれということだったと今日は、皆さんの御祈念中にね、思うたんです。どうしてでしょう。厳しくも厳然として 然として開かれていっておる。本当の信心を求めていっている人達はやはり、そのくノ一会にいってみたいといったような、まあいうならば、いうならば海の物とも山の物とも分からないと、いや分からないでしょうけれども、本当な事を求めて集まるという人達なんです。その名の示すとおりにくノ一というのは、もう修行の第一とこういう。
修行の第一というのは、どういうような場合であっても、どういう事柄であっっても、それを合掌して受ける。もう自由自在に有り難い有り難いで受けていくということが、くノ一修行であり、くノ一会の方達が願っておられるのはそこなんだ。
それがね、厳しくもというような感じを昨日受けたんだと思うです。おかげ頂くけん参りよる、おかげ頂かんならんから、お伺いせんならから参りよる。お付き合いで参りよるといったようなものではないということ。本当に例えば、くノ一会、くノ一という修行が修行の最高であるならば、そのくノ一修行をいよいよ身につけたい。ね。そういう人達の集まりが、私はなんとはなしに、私が押されるような感じね、偉がある。素晴らしいことを本当に目指して進んでおるという人達の、私は信心姿勢というか、構えに私がうたれたのではないだろうかと、今日は厳しく開かれというところを、ここで聞きながら、昨日私が感じたのはね、いう、くノ一会の方達の厳しく開かれていっておるということに、うたれたんだろうという風に思いました。
昨日は壮年会でございましたから、いつもの事ながら素晴らしい発表を皆さんがなさいました中に、戎浦さんが発表なさっておりました。今度の30日の大祈願祭のおかげを頂くために、大体もう長年おかげいただいとるけれども、いつもこの祈願祭にはおかげ頂けず、初めてであった。ね。家内子供達はおかげ頂いておったけれども、自分は勤めの関係で今、とにかく私は今度、昔でいう大払い式、いわゆる悪疫予防交通安全大祈願祭には、初めてでした。だからどういう服装してよいかわからない。皆さんがきちっとしてきてあるのに、こっちだけがただ普段の服ではおかしいから、まあ礼服と洋服とそしてここまで来る間には作業服で来たとこう申します。仕事半ばですから。そして段々お祭りの時間が切迫して参りましたところが、沢山な人が集まる。こりゃあのう、壮年会の御用を頂いておられます、何か通知の事か何か。だから今日沢山集まっておられるから、そのまあ案内なら案内の上書きかなんかでしょう。それをはよう、あれしてしもうて、今日皆さんに配ったらよかろうとこう思い、秋永先生からも何かそれをまあいわれたようですから、もうその作業服のまま、その事務所の所でその事務を執らせて頂いている中に、もうお祭りは始まり、もう親先生のお話が始まった。
ようやく終わったところにこちらの御用も終わって、それをとうとうだから、お祭りに持ってきておった洋服は、洋服も持ってきとった礼服も持ってきとった。けれどもそりを着らんなりに作業服のままで最後にちょっと拝んだだけだったとこういうのです。ね。
所がです、いうならば車のお祓いを受けるのに、自分はその駐車場にこう止めておったのが、お祓いを受ける一番正面に自分の車があったというのです。もうその時には、私はもう本当に云いしれんいわゆる感動を覚え、昨日も感動いっぱいで話しておられました。
成る程氏子の用、いや神の用をたしゃ、氏子の用は神が足してやると仰せられるが、ね、よんどころなし、御用の方を先に取らせて頂いて、いわゆる礼服とも替える暇もないくらいであって、お祭りをそのまま拝みもしなかった。親先生のお説教は事務所でいわば流れて来るお話を聞いておったに過ぎなかったんだけれども、誰がどうしてここへ押しやってくれたか知らんけれども、自分の車が一番正面の所になんとこう出てきておる。これにゃ私ぁ恐れ入りました。と感動の時、模様を昨日発表しとられましたですね。
私共が云うならば、今日はくノ一会の方達に、私が猛々しいものね、云うならばこの偉がある。厳しくも云うならば、まだ始まって何カ月もならないのだけれども、いよいよ合楽の信心の本当な所、本当なものに、向かって信心を進めていこうという、その構え、その精神、それを頂きたいと云う人達の集い。それに私は厳めしいものを感じたんだなぁと云う生き方によせてです、今云うように、そうした昔から御用すりゃ助かるといったような事だけではなくて、その厳めしいものの、素晴らしいものに、取り組みながらその御用が出けるときに、私は完璧のおかげ、これこそ梅の花の信心ということになるのじゃないでしょうかね。
どうぞ